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- ドクターズインタビュー
「人はみんな違う。だから、一人ひとりに合った医療を」
救急の最前線から地域医療へ。ジェネラリストとして歩む道
弟の手術が、医師への道を決めた

先生が医師を目指されたきっかけを
教えてください

私には弟がいます。弟は2歳と3歳のときに、二度の手術を受けました。特に3歳のときには、「助かるのは難しいかもしれない」と言われるほど、厳しい状況だったそうです。
それでも幸いなことに、現在は元気に60代を迎えています。
50年以上前の医療では、幼い子どもに麻酔をかけて手術を行うこと自体が、今以上に大きなリスクを伴うものでした。ひとつの判断や処置が、その後の結果を大きく左右する時代だったのだと思います。
私の家は、もともと医療とはまったく縁のない家庭でした。男三人兄弟の長男は家業を継ぎ、末の弟は体が弱かったこともあり、両親の中には「誰かが医療の道に進んでくれたら」という思いがあったのかもしれません。
そうした両親の姿や、弟の様子を身近で見て育つうちに、自然と医療の世界に関心を持つようになっていきました。
専門医の時代に、あえて「ジェネラリスト」を選ぶ

医師になられてから、どのような道を
歩まれたのですか?

私は平成元年に医師になりました。ちょうどその頃、医療の世界では専門分化が進み始めた時代でした。
「内科に進むなら、血液内科か神経内科か、あるいは糖尿病専門か。早く専門を決めなさい」
そんな空気が、ごく当たり前のようにありました。
その背景には、アメリカで医療訴訟が増加していたことがあり、日本でもいずれ同じ流れになるのではないか、という危機感があったのだと思います。それまで主流だった「認定医」という考え方に代わり、「専門医」という言葉が広まり始めた、まさに過渡期でした。
ただ私は、その時点で専門を一つに絞ることに、少し迷いを感じていました。そこで選んだのが、救急の世界でした。
なぜ救急だったのですか?
救急は、比較的制約が少なく、幅広い症例を診ることができる分野だったからです。
あるとき、たまたまご一緒した先生から「あなたは内科的な考え方をしているけれど、外科も経験してみたらいい」と声をかけていただきました。その後、師匠と呼べる整形外科の先生方と出会い、基礎から丁寧にご指導いただきました。
その一つひとつの経験が、今の私にとって大切な財産になっています。
その先生は、「一つに絞らず、できるだけ多くのことを経験しなさい。幅広く診られるほうが、結果として多くの人の役に立てる」と教えてくださいました。
また、診療を通して「人は一人ひとり違う存在だ」ということを、多くの患者さまから学びました。
「専門医」ではなく「ジェネラリスト」を目指した理由
人の命を守るために本当に必要なのは、限られた分野だけを深く知ることではなく、もっと広い視点で全身を診る力ではないのではないか。
私は、次第にそう考えるようになりました。
こうした師匠方からの教えや、これまでの経験が、現在の私の診療スタイルの原点になっています。
アメリカでの経験が、確信に変わった

アメリカでの経験もあると伺いました

はい。こうした考え方の背景には、海外での経験もあります。
医学研究のため、アメリカ陸軍外科学研究所に約3年半在籍しました。その滞在中に、アメリカのプライマリーケアの現場に触れる機会があり、「まずは家庭医・総合医が患者さまを診る」という医療の在り方に、大きな影響を受けました。
専門分化が進む中でも、地域の中で人を丸ごと診る医療の大切さが、実際の現場で根づいている。その姿を目の当たりにしたことは、私自身が目指してきた「総合的に診る医療」のあり方を、あらためて確信するきっかけにもなりました。

日本とアメリカの医療システムの違い

具体的に、どのような違いを感じられたのですか?
アメリカでプライマリーケアの現場に触れて、日本との違いを強く感じました。
アメリカでは、まずプライマリーケア医(家庭医・総合医)が患者さまの入り口となり、生活背景や価値観も含めて継続的に診ていきます。必要に応じて専門医へ紹介しますが、紹介後もプライマリーケア医が中心となって全体を把握し、患者さんを支え続けます。
一方、日本では、患者さま自身が最初から専門科を選んで受診することが多く、どうしても「臓器別」「科別」の医療になりやすい傾向があります。その結果、「どこに相談すればいいのかわからない」「いくつもの科を受診しているが、全体を見てくれる医師がいない」と感じる方も少なくありません。
アメリカで見たプライマリーケア
の在り方は、
「病気だけでなく、
人を診る医療」
「継続して
伴走する医療」の大切さを、
あらためて教えてくれました。
阪神淡路大震災、そして福知山線事故

救急医療での経験が、
今の診療スタイルに影響していますか?

大きく影響しています。医師になって5年目の時に、阪神淡路大震災を経験しました。
当時は、何百人もの方の死亡確認に立ち会いました。
救うことができず、ただ淡々と診断を行わなければならない状況が続き、医師として非常につらい時間だったことを今でも鮮明に覚えています。
その頃、ヘリコプターで患者さまを搬送する「ドクターヘリ」の原型づくりにも関わりました。後に放映された救命救急を題材にしたドラマは、私が勤務していた病院がモデルとなっています。震災の際にヘリで現場へ向かうシーンは、実際に私たちが行っていた医療活動がベースになっています。
当時、実際に現場で動いていた医師は3人ほどで、ほぼ24時間体制のような状況でした。
同時に複数の手術を担当することもあり、5件の手術を並行して行ったこともあります。

その後、福知山線の脱線事故も
経験されたのですね

はい。救急医療の現場では、2つの大きな災害に立ち会いましたが、
どちらも、人の命と真正面から向き合う壮絶な現場でした。救える命もあれば、救えない命もあります。医師として全力を尽くしましたが、同時に無力感も感じました。
そこで転機が訪れたのですね
救急の世界では、「防げたはずなのに防げなかった」という事例が最も重い反省材料となります。しかし、私が勤務していた病院では、そのような事例を限りなくゼロに近づける努力を重ねてきました。
一定の成果は出せていた一方で、同時に救急医療だけでは限界も感じるようになりました。
救急は、病気や怪我が起きてから対応する医療です。
目の前の命を救うために全力を尽くすことは、極めて重要ですが、もっと前の段階、病気になる前にできることがあるのではないか。
そうした考えを持つようになったきっかけの一つが、福知山線脱線事故でした。
もともとジェネラリストとして幅広く人と関わりたいという思いもあり、最終的に、これまでとは少し違う道を選ぶことにしました。

救急から地域医療へ。
それが先生の転機だったのですね

そうです。人の命を救うという本質は今も変わりはありません。
ただ、その向き合い方が少し変わりました。救急の最前線で命をつなぐのではなく、地域の中で、お一人おひとりの患者さまと丁寧に向き合いながら、日々の健康を支えていく。
未病(病気になる前)の症状から、
元気でいられるように支えられないか。
それが、今の私の大切にしている医療です。
この街で、地域のよろず相談所として

堺でクリニックを開業された理由は?

もともと親の家がこの辺りにあり、私達家族でこの地域に移り住みました。その後ご縁を感じ、この地で開業することになりました。
おかげ様で今年2月で開業20年を迎えました。

「総合クリニック」という名前には
こだわりがあったんですか?

実は、「総合クリニック」という名前は当時としては珍しいものでした。
クリニックでありながら「総合」と名乗ることに対して、「専門性を明確にしたほうがよいのではないか」といった声をいただくこともありました。
それでも私が目指していたのは、まさに“総合的に診る”ことができるクリニックでした。
一つの分野にとらわれず、患者さま全体を見つめる医療。それは、これまで私が大切にしてきたジェネラリストとしての考え方そのものでもあります。
それでもその思いを貫かれたのですね
そうです。何科に行ったらいいかわからない。そういう人のための場所を作りたかったからです。
内科・外科・整形外科と分野を問わず、
まずは患者さまを診ることから始めます。
当院で対応できることは対応できることは丁寧にしっかりと行い、より専門的な治療が必要な場合には、適切な医療機関をご紹介する。
そんな「よろず相談所」のような存在が、地域には必要だと考えています。

今では「総合診療科」という概念も
広がってきましたね

そうした考え方は、今では少しずつ広がってきています。
現在では全国に「総合クリニック」も増え、大きな病院には総合診療科が設けられるようになりました。
また、ありがたいことに、同じ志を持つ先生方とのつながりも生まれてきました。
開業当初はなかなか理解を得られないこともありましたが、今振り返ると、この歩みは間違っていなかったのだと感じています。

救急の世界から、地域のクリニックへ。
大きな変化ですね。

形態は違いますが、医療への思いは変わっていません。
むしろ今、ようやく自分が本当にやりたかった医療を実践できていると感じています。
ジェネラリストとして、広く診る。
困っている人の最初の窓口になる。
それが私の役割だと思っています。
複数の病気をまとめて診る

複数の病気を抱えている方も多いと思います

そうですね。例えば、こんな方がいらっしゃいます。
- 高血圧と糖尿病がある
- 腰や膝の痛みで日常生活に支障がある
- 生活習慣病で複数のお薬を服用している
このような場合、通常は循環器内科・糖尿病内科・整形外科など、いくつもの診療科に通う必要があり、通院の負担も大きくなりがちです。
当院では、ひとつのクリニックで複数の病気を総合的に診ることができ、通院の負担を軽減できます。ご高齢の方や、頻繁な通院が難しい方にも安心してご利用いただける体制を整えています。
また、より専門的な検査や治療が必要と判断した場合には、適切な医療機関・専門医へ責任をもってご紹介します。その「見極め」まで含めて、患者さまに寄り添うことが私たちの役割です。
「人は一人ひとりみんな違う」という当たり前のこと

先生の診療で大切にされていることは何ですか?

一番は「人は一人ひとりみんな違う」
ということです。
これは患者さまから教えていただいたこともあります。十人十色という言葉のとおり、人は10人いたら10通り。同じだと考えること自体が本来は不自然なのだと思います。
たとえば、がん治療の分野でも、近年は「オーダーメイド治療」という考え方が広く知られるようになりました。一方で、以前は多くの場合、同じ治療法が一律に選択された時代がありました。
この薬で効果がなければ次の薬へ、さらに効果がなければまた別の薬へ――
そうした流れが当たり前だった中で、
「この方は他の方とは少し違うのではないか」という視点が、十分に持たれていなかったように感じています。
確かに、画一的な治療では限界がありますね。
私は犬を飼っているのですが、狂犬病のワクチンは犬の大きさに関わらず、基本的に同じ量が接種されます。
チワワのような小さな犬も、ボーダーコリーのような大きな犬も同じ量だということに、以前から少し違和感を覚えていました。
そして、それは人の医療にも通じる部分があるのではないかと感じています。
人間の場合も、90歳の高齢の方も若い方も、同じ量のワクチンを接種するのが一般的です。
本来は、年齢や体格、その方の状態に合わせて、もう少し一人ひとりに寄り添った「さじ加減」があってもよいのではないか。
そんなふうに考えています。
「氣」の8段階 (元氣から病氣まで)

先生は「氣」を大切にされていますね

そうです。日本人は昔から「氣」を大切にしてきました。
空気、電気、天気、景気、元気、病気…
私たちの身の回りには「気」がつく言葉が数多くあります。
目には見えなくても、確かに存在し、私たちの心や体、暮らしに影響を与えているもの。
そうした感覚は、日本人ならではの感性だと思います。
「病氣」にも段階があるのですか?
実は「氣」には段階があると考えています。
一番上にあるのが「元氣」
その下に「生氣」「活氣」があり、
この3つが揃って初めて「生活」が成り立ちます。
次の段階が「強氣」です。
ここが1つの分かれ道になります。強氣でいられれば良いのですが、弱氣の方に傾いていくと、やがて陰氣の状態になってしまいます。
ここでも弱氣になってはいけません。強氣でいることが大切です。
さらに気分が落ちてくると「無氣力」の状態になります。
そして最後に「滅氣」となり、「病氣」に結果として至るのです。
なるほど。「元氣」から「病氣」まで、段階的に落ちていくのですね

そうです。特に大切なのは「強氣」と「弱氣」の分かれ道です。弱氣に傾かないように、日々の生活の中で意識的に氣を上げ、強氣でいられる状態を保つことが重要だと考えています。
昔の人は、氣をどのように高め保っていくかを、生活の知恵として自然に身につけていました。
今の医療は、病氣になってから治すことが中心です。しかし本当は、弱氣になる前、無気力になる前、陰氣に傾く前に、何かできることがあるのではないか。
それこそが私の考える医療です。
「整える」ではなく「調える」ということ

「調える」という言葉もよく使われていますね

私は「整える」ではなく「調える」を使っています。
「調」という字は、「調子どうですか?」の「調」です。音楽の調べにも使われる言葉です。
単に形を整えるというよりも、その人本来の状態に”調和させていく”という意味合いが込められているように感じています。
呼吸法で大切にされている考え方に「調身・調息・調心」というものがあります。
まず身を調え、次に息を調え、最後に心を調える。
この3つが調うことで、心も自然と落ち着いていきます。
仏教にあったような気がします
そうですね。こうした考え方は、お釈迦様が何千年も前から説いていることでもあります。
実は私は、令和5年に得度し、真言宗の僧侶としても歩み始めました。精神的なケアや、死生観といったテーマについても、仏教はひとつの大切なヒントを与えてくれると感じています。
音楽、歌、笑い。楽しいことが「薬」になる

音楽にも力を入れていらっしゃるとか

音楽には、本当に大きな力があると感じています。
好きな音楽を聴くだけで、自然と気持ちが明るくなる方も多いのではないでしょうか。
現在、高齢の方の中には、日常的に人と話す機会が少ない方も少なくありません。独り暮らしの方も増え、誰かに話を聞いてもらうことがなく、会話のない時間を過ごしている方もいらっしゃいます。
歌を歌うこと、声を出すことは、気を強くすることにつながります。
クリニックで音楽のプログラムもされるご予定だそうですね。
はい。患者さまの中に、75歳で定年を迎えた元ドラマーの方がいらっしゃって、「みんなで太鼓をたたこう」と提案してくださったことがありました。
打楽器は、年齢に関係なく楽しめるのが魅力です。太鼓でなくても、カスタネットのような身近な楽器でも十分に楽しめます。リズムに合わせて音を出すだけで、自然と気持ちが明るくなります。
毎日が似たような生活になりがちな中で、ひとつでも楽しみな予定があると、皆さんの表情はぐっと明るくなります。
それは、子どもの頃に遠足の前日を心待ちにしていたときの気持ちに、どこか似ているのかもしれません。
「明日、万博に行くんです」と話すときの患者さまの表情は、本当に嬉しそうです。やはり、日々の中に楽しみがあること、そして楽しいことが少しでも多いことは、心と体の健康にとってとても大切だと感じています。
「楽しい」の上に草冠を
つけると「薬」になる。
昔から草(薬草)で薬を作ってきたという話がありますが、「実は楽しいこと」こそが一番の薬なのではないかと感じています。
そして笑うこと。笑顔は最高の”特効薬”です。
開業して20年経って、見えてきたこと

開業して20年近く。何か変化はありましたか?

今年で、開業から20年を迎えます。
40歳の頃に開業し、振り返ってみると、私自身もこの20年で同じように年を重ねてきました。
長く通ってくださっている患者さまも同じ時間を重ねておられます。その姿を見ていると、皆さまと「一緒に歩んできた」という実感が自然と湧いてきます。
ご高齢の患者さまや、自分の母の様子に接する中で、
年齢を重ねることの意味について、改めて考えるようになりました。

患者さまで多い症状は何ですか?

整形外科の診療では、腰や膝の痛みを訴えられる方が多くいらっしゃいます。
そのほかにも、血圧が高い方や、糖尿病といった生活習慣病のご相談も少なくありません。
しかし大切なのは、
その症状だけを診るのではなく、
その人全体を診ること。
「なぜ痛みが出ているのか」
「どのような生活を送っておられるのか」
「何に喜びを感じ、何に負担を感じておられるのか」
そうしたことを一つひとつ丁寧に伺いながら、身体・生活・心の状態も含めて、一緒に考えていく。
それが、私が大切にしている診療のかたちです。
長生きの意味を考える

先生の今後の展望を教えてください。

現在は、残された時間を「どのように社会に還元できるか」を意識しながら、日々を過ごしています。
これまでの診療や活動を振り返る中で、私の中に一貫してある想いがあります。
それは、「楽しく、その人らしく生きられる方を一人でも多く増やしたい」ということです。
医療は、単に寿命を伸ばすことを目的とするものではなく、
生活の質(QOL)を高めることこそが、本来の役割であると考えています。
私は、「1分1秒でも長く生きること」よりも、「毎日を楽しく、安心して過ごせること」を大切にしています。
自然界に目を向けると、多くの生き物は種としての役割を終えるとその生涯を終えます。
一方で、マッコウクジラや人間は、子育てを終えた後も長く生き続ける存在です。
私はそこに、「次の世代を支える役割」という、人間のもう一つの使命があるのではないかと感じています。
これからも私は、地域医療の一員として、
この地域に暮らす皆さまの「健康」と「安心」、そして「その人らしい人生」を支え続けていきたいと考えています。
それが、医師としての私のこれからの使命です。
患者さまへのメッセージ

最後に、患者さまへメッセージをお願いします

当院は「よろず相談所」のような存在でありたいと考えています。
「どの診療科に行けばよいかわからない」 ーーそんな時こそ、どうぞお気軽にご相談ください。
一緒に考え、必要に応じて適切な医用機関をご紹介いたします。
当院で対応できるところは責任をもって診察し、
より専門的な治療が必要な場合には、信頼できる医療機関へおつなぎします。
私はジェネラリストとして、「広く、浅く」ではなく、「広く丁寧に診る」ことを大切にしています。
専門分化が進む医療の中で、患者さま一人ひとりの全体像を大切にしながら診療を行なっています。
人はそれぞれ違います。だからこそ、その人に合った医療を一緒に考えていく。
それが、当院の診療スタイルです。
師匠を持つことの大切さ
人は新しいことに挑戦しようとする時、見守り、励まし、時に導いてくれる存在があることで、
一歩踏み出す勇気を持つことができます。
年齢を重ねると、つい周囲の目を気にして新しいことを避けがちになります。
しかし、何歳になっても挑戦することは可能です。
そして、そのそばに「師」と呼べる存在がいれば、人生はより豊かなものになると私は考えています。
当院の統合医療プログラムは、患者さまが新しい一歩を踏み出すための「伴走者」となれるような存在でありたいと願っています。
私たちは、みなさまの人生に寄り添いながら、心と体の健康を支えてまいります。


